銀蝿一家を語る(第1回)

  何やら大げさなタイトルですが(笑)。要するに今まで風俗的、あるいはギャグでしか語られてこなかった銀蝿一家を、現在の僕の視点から語ってみよう、ということです。大ファンでしたから思い入れが強くて、かなり長文になりそうなので、2回に分けて掲載することにします(笑)。

  まず今回は親分、横浜銀蝿からいってみましょう。彼らがデビュー以前から「LP売上1位、シングル売上1位、武道館満タン」をスローガンにしていたのは有名なハナシですが、曲作りにあたって「スリー・コードを基調にしたロックン・ロールしかやらない」と決めていたことは、ファン以外にはそれほど知られていなかったのではないでしょうか?そのため「気ままなOne Way Night」、「雨の湘南通り」といった比較的緩やかなナンバーもありますが、彼らの曲にはいわゆる「バラード・ナンバー」はありません。唯一の例外は弟・妹分に書き送った曲をセルフ・カヴァーした「ぶっちぎりR」収録の「アイ・メイク・ユー」があるのみです。後に「銀蝿=スリー・コードのロックン・ロール」といった図式が完成されていったにもかかわらず、デビュー曲「横須賀Baby」は多様なコードを使用したメロディアスな曲だった、というのも実に面白いです。

  当時ブレイク寸前だったアルフィーの音楽性が多岐に渡っているのと比較して、一つの決まったパターンで曲を作り続けることは意外に難しいことを感じました。これも彼らなりの「ツッパリ」でしょう。この辺りはラモーンズをお手本にしたのかな?とも思えますが。してないだろうな多分(笑)。その後、幅広い音楽性を持っていることがミュージシャンにとって一種のステイタスのようになっていった気もします。

  また「レコードでは彼らが本当に演奏しているのか?」といった疑問の声もあがっていたと思います。銀蝿一家には弟分達のレコーディング/ツアーを支えるバック・バンド(その名も「大平太三バンド」。メンバーの出身地の頭文字をつなげたものだそうです。)がいて、銀蝿のレコードでも彼らが演奏しているというのです。これは1950年代に登場したロックン・ローラー達がTV出演の際にはリップ・シンク(口パク)を行っていたために起こった非難とよく似ていると思います。「レコードでは上手に唄えても、生では唄えないんだ。そんなもの音楽じゃない。」これについては萩原健太氏の言葉を要約すると、ロックン・ロールにとってオリジナルとはレコード/CDなどの媒体に記録された音源そのものだ、と。だからアーティストが口パクしようが生演奏しようがオリジナルを再演しているにすぎない、と。この関係を理解できているかどうかがロックン・ロールを楽しむ上で重要なポイントになる、と。

  セックス・ピストルズもレコードではクリス・スペディングがギターを弾いているという噂がありましたが、その例を出すまでもなく、誰が演奏していようが僕たちはその曲をカッコいいと思い、楽しめているんだからいいんじゃないかと思うのです。これって偏ってますか?(笑)。

  一度コンサート(集会って言った方がいいですかね?)を見たことがありますが、ステージでの演奏はそれほどひどいものではなかったように思います。ただアクション重視のステージをやっていた人達なので、間違いはたくさんあったと思います。ただベース・ラインについては、色んな音楽を聴いてきた今だから言えることですが、かなりカッコいいと思いますよ。「横須賀Baby」、「おまえにピタッ!」などの曲のベースはいいですよ。こういうのがあるから影武者疑惑が出てくるんだよな・・・。

  銀蝿は弟・妹分以外にも曲の提供を行っています。西城秀樹の「ガール3部作」の内の一曲「リトル・ガール」。三原順子「だってフォーリンラブ突然」、「ホンキでLove Me Good!」。中森明菜「少しだけスキャンダル」あたりが有名なところでしょうか。中森明菜はアルバムの曲ですが、それ以外はシングルA面(この表現も懐かしいな・・・)。業界的にも「銀蝿の名前で売れる」と注目されていたようです。男性アイドル歌手、矢追幸宏は「ぶっちぎりV」収録の「真夜中シェイキンダンス」をカヴァーしています。そして漫画「湘南爆走族」に登場する「権田二毛作」は翔の中から出てきたようなキャラクターで、映画では実際に翔が演じ、そのハマリ具合に爆笑でした。

  最後になりますが、解散後のJohnnyのインタビューにこんな言葉がありました。「唄の中で俺達はこういう風に生きてきたんだ、と言うことはあっても、お前らはこういう風にしなくちゃいけない、と言ったことは一度もなかった。」とかく「若い根っこの会」みたいに言われがちな彼らのメッセージを真に理解する鍵がここにあるように思います。以前は彼らのメッセージはあの時代だからこそ有効だったんだ、と思っていましたが、最近改めて聴き直してみて現在の自分も共感できる、普遍的なものだったんだということが分かってきました。


(2004. 3. 5)


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